ジョギング

マラソン歴は1990年52歳、八戸うみねこマラソン5kmにてデビュー。 1999年61歳、館山若潮マラソンにて初フル5時間3分台でよれよれの完走。2001年から2005年まで秋田100キロチャレンジマラソンに5回挑戦するも2回目の89kmが最高。 2008年再会されるのを機にまた参加して楽しんで走る。南仙台走友会、宮城UMCに所属。ゆっくりと楽しんで走る健康マラソン。大会に参加して仲間と交流するのが楽しみ。 大会に参加して完走するのが目標 いつまでもジョギングを楽しみたい

 

 

 

「私のマラソン人生」

 

長男が小学生のとき(1977)、カブスカウトに入団した。毎年、行事として駅伝大会があり、この大会に備えて、早朝練習が父兄参加のもと行われた。私は一生懸命走ったが、子供には敵わなかった。特に登坂はきつく、なかなか前に進まなかった。

八戸にいたとき、八戸うみねこマラソンに1990年、1991年と2回参加した。私が走った5kmのコースはアーチ橋を渡って折り返すものだった。1回目は復路ではきつくて七回も歩いてしまった。練習はしなかったので当たり前であろう

仙台に戻り、市民マラソンin仙台10km1993年から3回走った。歩かないで完走するのはなかなか大変であった。

ちょうどこの頃、駒塚先輩からSMC参加のお誘いがあり、199511月に入会した。トレーニングをつんで10ヶ月後、19969SMCロード走田沢湖大会で周回コースである21kmに挑戦した。初めてのハーフである。好天に恵まれ、きれいな湖と木々の緑と真っ青な空、ブロンズのたつこ姫、うまい空気に感激する。2時間3分弱で完走する。これも急坂を登る強化練習の成果と思う。これを機にハーフの魅力に取り付かれる。1996年は走行距離345km。大会参加5回。1997年は走行距離1252km。大会参加9回。1998年は走行距離1360km。大会参加17回。1998年のSMCロード走田沢湖大会ではハーフで1時間50分をクリアした。自分ではしっかり走っているつもりが、大丈夫ですかと声をかけられた。ショックだった。

1999年には、ジョギングをはじめてからの夢であったフルマラソンに挑戦する。私が初のフルマラソンに選んだのは館山若潮マラソンである。エントリーしてから、3ヶ月もあると思っていたら、あっという間に1999131日がきてしまった。最初の目標は週5日練習、月間走行距離200km30km走を数回経験するというものであった。実際は、直前3ヶ月平均、週2日練習、月間走行距離90kmであった。1月2日の仙台〜塩釜神社往復(17+17km)では後半足の筋肉が硬直しやっとラストランナーで完走した。1260kmしか走っていない付けだと思った。この程度の練習量と5kmのタイムからの予想タイムは某誌によると4時間35分〜5時間18分である。館山若潮マラソンの制限時間は5時間である。35kmからの壁がよく言われている。これも体験しないとわからない。しかし5時間は切れるだろうと思っていた。

いよいよ当日がきた。前日はよく食べよく呑んだが体調はよい。夜は9時には寝たので6時半の朝食がおいしく、ご飯を2杯も平らげた。コースの一部でもある会場までの2kmを歩く。天気は快晴、予報によると気温は12度程度になるらしい。絶好のコンデションである。参加人員は全体で4700人、フルマラソンは、3300人である。整列は持ちタイム順、私は最後のほうである。ユニホームもいろいろである。速い人はランシャツ・ランパン。他は、Tシャツ・ハーフタイツ、長袖シャツ・ロングタイツなどである。もちろん私は長袖シャツ・ロングタイツである。

10時スタートした。スタートラインを超えるまで12分かかった。押さえて走ろうと自重する。軽い起伏が続くコースである。10kmのラップタイムは58分、体が重くリズムに乗れない。20kmのタイムは2時間。中間点を過ぎるころから右足の付け根が痛くなる。左足もだ。歩かずに完走するのはあきらめざるを得ない。エイドステイション毎に水分補給、エネルギー補給とともにストレッチと指圧をする。しかし、しばらくするとまた痛み出す。やがて、腿、ひざへと痛みは下がってくる。走れる状態ではない。初めてのフルマラソン、仲間たちの応援がなければリタイアしたかった。しかし最初が肝心であると思い直す。ここであきらめてはいけない。未知の距離を体験したい。と別の声がする。足をだましだまし走ったり、歩いたりして前へ進む。30kmのタイムは3時間20分、この調子だと5時間前後かと思う。32kmのタイムは3時間40分。制限時間の4時間はクリアーした。2kmで20分かかったことになる。ここから往路のコースを引き返す。ホテルの前では、小さな坊やがお盆にお菓子を載せてサービスしている。後ろにはお母さんが微笑んでいる。沿道の応援がすばらしい。私設エイドステイションも多い。炊き込み御飯のおにぎり、コーヒー、紅茶、しかも芸が細かい、砂糖入り、砂糖なしがある。クリームパン、チョコレート、飴も種類がいろいろある。歩くなんて本来ならしたくないが、足がいうことを利かない。もどかしく思う。

35km前後で田辺さんと一緒になる。急がなくても4時間55分前後にはゴールできる。とアドバイスを受ける。しばらく後をついて走る。しかし、だんだん遅れ、また歩いてしまった。あと2.44kmの折り返しのところですれ違う田辺さんから、“がんばれよ”と励ましの言葉を受ける。40kmのタイムは4時間48分、5時間を切るのはきつくなってきた。ここからは、あと少しだ、がんばろう。ジャスコが見えてきた。そこからは500mだ。気持ちの上でピッチを上げる。川井さんが橋の手前まで迎えに来てくれていた。ありがたい。勇気つけられた。伴走してくれた。滑らかな足の運びが年期を感じさせる。最後の直線でラストスパートする。川井さんのおかげだ。自分でもこれだけ力が残っていたとは驚いた。タイムは5時間0313秒。制限時間の5時間は切れなかったが、完走だけはできた。これも沿道で応援してくれた地元のかたがた、SMCの仲間のおかげである。初のフルマラソン完走の印象は、初めてのマラソンである1990年八戸うみねこマラソン5kmを完走したときと同じである。練習を積んでいないと駄目だということである。心肺機能は何ともないのに、足が痛む、動かなくなる。明らかに長距離、長時間の走行に耐える筋力不足である。

その後フルマラソンは11月のつくばマラソン4時間4204秒。今年1月の館山若潮マラソン4時間2559秒。4月のかすみがうらマラソン4時間5038秒と4回完走している。

マラソンに参加して10年、5月には思い出の八戸うみねこマラソンのハーフの部に参加した。あいにくの雨であったが、天然記念物゛うみねこの繁殖地で知られる蕪島、雄大な太平洋の景色を楽しみながらうみねこラインのアップダウンを走った。

八戸は4年半勤務した土地である。レース前日はなじみの店であった゛れすとらん亭で食事をする。酒と肴と仲間との語らいが楽しい。レース後はさくら肉を肴にお互いの健康を喜び友人と旧交を温めた。翌日は朝早く起きて市内を散歩する。楽しい3日間であった。

今年は走行距離が伸びなかった。レース内容はやはり正直で後半のスタミナ、粘りが足りないレースが多かった。やはり゛継続は力なりである。心を入れ替えて再スタートしよう。50km,100kmのウルトラマラソン挑戦が夢である。

スキーの三浦敬三氏は冒険スキーヤー三浦雄一郎氏の父である。96歳の今もスキーの現役なそうである。99歳で海外の山で氷河を滑走するのが夢だと話していた。

私も70歳,80歳といわず健康で息長くジョギングを楽しみ,レースに参加するのが夢である。

走行距離、レース参加回数

1990年         1回参加。

1991年         1回参加。

1992年         

1993年         1回参加。

1994年         2回参加。

1995年         2回参加。

1996年    345km    5回参加。

1997年  1,252km  9回参加。

1998年  1,358k     17回参加。

1999年  1,245km      17回参加。

2000年  1,000km  17回参加。


2001年以降の走行距離と大会参加回数

2001  1138km  16回
2002  1208km  10回
2003  1367km  12回
2004  1884km  10回
2005  1752km   7回
2006  1086km   5回
2007   842km   6回
2008   446km   4回
2009   581km   2回

追伸
むさしの通信寄稿


2009年6月20日(土)曇り  第6回みちのくラン 矢本駅から奥松島かんぽの宿まで35kmの歴史探訪

第6回みちのくランは矢本駅を8時20分スタートし奥松島かんぽの宿 までの35kmのコース設定で行われた。 A、B、Cの3グループに分かれてそれぞれサポーターが2名ついての集団走である。途中3箇所のエイドがあり車3台で対応していただいた。大いに助かる。ありがとう。 15時過ぎにはゴールへ。打ち上げでは6回連続参加ということで賞品をいただく。いつも参加を楽しみにしていた。打ち上げも大いに盛り上がった。楽しい1日でした。 スタッフ、サポーターの皆様ご苦労様でした。また来年お会いしましょう。どんなコースになるのか楽しみである。

 

スタート前の集合写真 

image/michinokurun.jpg

みちのくランの写真です。

http://photozou.jp/photo/list/250629/844441

 





 2009年6月28日(日)晴れ 有志による蔵王エコーライン走 遠刈田温泉公園から刈田岳レストハウスを目指す

これは秋田100キロチャレンジマラソンに参加するための強化練習としてはじめられたそうである。私も今まで何回か参加している。初回はどこまでいけるか不安であった。きつくなるとすぐ歩く。しかし回を重ねるうちに走る距離が伸びていく。人間の順応性の高さに驚く。挑戦しなければ道は開けない。
マラソンも初めて5kmを走ったときは10km走る人をすごいと思い私には出来ないと思った。それがフルマラソン、ウルトラマラソンを楽しむようになったのである。これも多くの仲間のおかげである。今回はほかの大会もあり参加者はH田さん、S木さん、Aさん、Hさんと私の5人である。公園にはサイクリングのメンバーも多い。あるグループは蔵王エコーラインを山形に抜け七ヶ宿を越えて戻る160キロの予定とのことすばらしい。私たちは7時10分スタートする。4時間走ったら引き返すことがルールである。
ゆっくりとスタートする。大鳥居までの1kmは皆さんと一緒である。それからは一人旅だ。最初の5kmは50分、滝見台には1時間で到着。数分景色を眺める。また走りはじめる。 10kmは1時間50分、峠の茶屋には2時間で到着。ここから入る澄川スキー場は思い出の場所である。
毎週のように通い子供にスキーを教えたところなのだ。長男だけは鳥取大山スキー場で幼稚園のときに教えた。一日でリフトに乗り一人で遊べるようになった。ほかの3人は仙台に来てから教え込んだ。本音は自分がスキーをやりたいからである。
ここからは歩きが多くなる。走る気がしないのである。途中の賽の河原は冷たい水がある。ここから入山する登山コースのかもしか温泉跡、ロバの耳を歩くコースは大好きであった。コマクサが多く咲いていたものだ。今は落石の危険があるために歩けない。コマクサ平ではコマクサが咲いているとの看板に誘われコマクサを鑑賞する。団体のお客さんが多い。花がきれいである。岩うちわ、四葉しおがま、二輪草、アザミ、どうだんつつじなど疲れた体にうれしい。
15km3時間5分。3時間13分に降りてくるAさん、Hさんと出会う。3時間30分にはH田さんに会いここで私も引き返す。コマクサ平で揚げもち?を食べる。おいしい。高速道路1000円の効果か県外の車が多い。観光バスも多くカーブでは恐ろしい。サイクリングのかたも多い。20km3時間57分。 25km4時間34分。30km5時間14分。足腰が疲れて歩くこともあるのだが下りは早い。ゴールの公園33kmは5時間44分であった。
S木さんの奥さんから焼き立てのパンをいただく。おいしい。娘さんも迎えに来ていた。岩手銀河マラソンでS木さんの応援に行き感動したという。それがきっかけで4キロくらいのジョギングを楽しんでいるという。入浴後昼食はおそばである。待っている間に水、そば茶を4杯飲む。体が欲するのである。冷たい山菜おろしそばをいただく。帰宅してビールを飲む。おいしい。日焼けのため体が熱い。目も疲れた。サングラスをすべきであった。7月にもまた練習会を企画しているという。また参加したい。

 


2010年1月31日 勝田マラソンに参加して

1.勝田マラソン挑戦記
今年は例年通り当日朝一番の普通列車で仲間八人と会場に向かう。駅から会場への途中で二人ずれの女性と一緒になる。大会に参加するのですかと聞くと今年は故障でボランティアとのこと。かすみがうらマラソンには参加予定という。会場で受付を済ます。私は完走すれば遅いゴールとなりみんなに迷惑をかけるので荷物を預ける。
最後尾からスタートする。スタート地点通過まで6分以上かかる。キロ7分ペースで走る。10キロを過ぎてトイレによる。4分タイムロス。走り出してすぐ走友のI.Eい子さんに似た人を見る。間違ったら悪いと思い前に出ての確認も声掛けもしなかった。後で守さんに話したら間違いなく彼女であった。上り坂から交通規制解除となり歩道を走らなければならない。歩いている人が多く、
狭い歩道では追い越しが出来ない。仕方なく歩く。15キロ以降給水所はなく水も何もない。個人の方から飴を貰う。ありがたかった。フルマラソンの参加者は一万人という。遅いランナーの私は次回の参加をためらう。中間地点は3時間であった。その後は走りと歩きになる。28km地点のエイドまでは頑張ろうと思う。河原さんとご一緒する。息子さんが初マラソン。息子さんに勧められてご自身も挑戦したとのこと。スタート地点の石川公園の近くに家があるという。28kmエイドにて乾燥芋二切れを貰い収容車の人となる。車中でいろんな事を話す。会場でシャツを貰い河原さんとお別れする。荷物を受け取り仲間と一緒に勝田駅に向かう。仲間はもちろん全員完走である。車中ではお互いの健闘を祝して乾杯する。完走できなかったけれども予期せぬ出会いもあり楽しい一日であった。

2.後日談 河村さんとの南仙台走友会掲示板および私のホームページでのやりとり。

@.大堂哲さん。勝田全国マラソン(2010年1月31日)では、途中棄権になってしまいましたが、最後いろいろなお話を聞け、私にとっては大変良い想いでになりました。写真をホームページのオールスポーツ(イベントID 33584)で見ていたら、スタート時の写真に私(番号3459)と大堂さんと横に並んで走り始めていました。実に30km弱走り、歩き、ほぼご一緒したことになります。私の家は、大会ゴールのグラウンドから500mくらい東の所にありますので、また御出走の時は、是非お立ち寄り下さい。南仙台走友会のホームページから素敵なお仲間がそろっていらっしゃるのを見ました。これからも皆様のご活躍を願っております。取りあえず、御礼まで。 2010年2月6日 河村和廣

A.河村和廣さん。南仙台走友会ホームページ訪問ありがとうございます。出会いとは不思議なものですね。河村さんの写真もオールスポーツで確認いたしました。スタートのスナップに二人並んでばっちり写っておりました。そして歩いたり走ったり28キロ地点で乾燥芋を食べ収容車に乗りグランドまでご一緒しました。不思議なご縁を感じます。子供さんの成績はいかがでしたか?次回はトレーニングをしっかりして完走したいと思います。河村さんとまた一緒に走りたいものです。お家にもチャンスを作りお伺いしたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。        大堂 哲

B.大堂さんホームページ見ました。  マラソンだけでなく、自転車、山登り、写真、パソコンと今までのご活躍の様子を拝見し、素晴らしい人生を送ってこられたことが、わかりました。素敵な写真、可愛いミータとチーコ、猫は外へ出て縄張りを見て回る習性があるので、他の猫との縄張り争い、交通事故がやはり心配です。私の家にはチワワの夫婦がいますが、一番面倒を見てくれる妻にべったりです。犬だけでなく子供たちも妻を頼りにしています。つまり私は、家庭内では孤独ということになります。子供は、長男(大学4年)が理学療法士を目指し、就職先が内定しています。長女は丁度二十歳になったところでフリーターです。二女は、高校2年で硬式テニス部中心の生活で学業は?です。勝田マラソンには長男が友人と一緒に走り、4時間と少しで初マラソンを完走しました。ゼッケン番号は、3464です。名前は、健太です。私は、名古屋出身で長男なので実家の父母の面倒をどうするか今後の課題です。
私を除いて妻と子供たちは、茨城生まれの茨城育ちで、友人も茨城におり、家も作ったので、名古屋は余計に遠い場所になってしまいました。二女が大学に入ったら名古屋の近くの事業所に転勤願いをだして、私だけでも行こうかと思っています。家庭の事情をだらだら書いてしまい申し訳ございません。大堂さんの様に人生をエンジョイしていきたいものです。ご家族、ご友人と共にお元気でお過ごし下さい。

C.河村さんホームページ訪問ありがとうございます。
2月11日に行われる南仙台走友会の総会資料作成のために返事遅くなりました。会計をやっており決算報告、予算案の作成。写真も担当しており今年はプリントアウトは集合写真だけにしました。その代わり初めての試みでしたが主な行事をCDにして会員全員に配布する事にしました。60枚コピーするのに1枚約20分かかり3日間にわたりやっと間に合わせました。そんなわけで返事遅くなりました。ご子息の健太君の初マラソン4時間少しでの完走おめでとうございます。写真も拝見いたしました。立派な息子さんです。チワワの夫婦が居るのですね。私は転勤族で南は九州から北は八戸まで勤務地は6カ所です。引っ越しは7回しました。盛岡出身で長男です。若かったので故郷を離れて就職したのです。しかし両親の近くの勤務を希望して仙台に1984年転勤。1986年八戸に単身赴任することになり家を仙台に作ったのです。父は私が1984年12月に仙台に戻る前、5月に亡くなりました。仙台転勤がもっと早ければと思いました。母は九十五歳、盛岡で入院中です。妹と弟が面倒を見てくれています。私は仕事をしているので時々見舞いに行きます。長男も大変ですね。

 3.ウルトラマラソンではレース参加者との走りながらの交流は当たり前のことです。フルマラソンでもこういう出会いもあるのですね。走ったり歩いたりのゆっくりランナーだから出来たことです。途中棄権でもそれなりに楽しみましたし参加して良かったです。実は参加しようかどうか直前まで躊躇していたのです。
走友のIかわTヨ子さんはスピードランナーでした。唯一参加するフルマラソンは勝田マラソンでした。彼女とも何回か抜いたり抜かれたりした楽しい思い出があります。その彼女が亡くなったのです。走りたくても走れない彼女。私は走れるだけで幸せです。

 


初めてのフルマラソン―館山若潮マラソン― 

私が初のフルマラソンに選んだのは館山若潮マラソンである。エントリーしてから、3ヶ月もあると思っていたら、あっという間に1999年1月31日がきてしまった。最初の目標は週5日練習、月間走行距離200キロメートル、30キロメートル走を数回経験するというものであった。実際は、直前3ヶ月平均、週2日練習、月間走行距離90キロメートルであった。1月2日の仙台〜塩釜神社往復(17+17Km)では後半足の筋肉が硬直しやっとラストランナーで完走した。12月60Kmしか走っていない付けだと思った。この程度の練習量と5Kmのタイムからの予想タイムは某誌によると4:35〜5:18である。館山若潮マラソンの制限時間は5:00である。35Kmからの壁がよく言われている。これも体験しないとわからない。しかし500は切れるだろうと思っていた。

いよいよ当日がきた。前日はよく食べよく呑んだが体調はよい。夜は9時には寝たので6時半の朝食がおいしく、ご飯を2杯も平らげた。出すものも出した。コースの一部でもある会場までの2Kmを歩く。天気は快晴、予報によると気温は12度程度になるらしい。絶好のコンデションである。参加人員は全体で4700人、フルマラソンは、3300人である。整列は持ちタイム順、私は最後のほうである。ユニホームもいろいろである。速い人はランシャツ・ランパン。他は、Tシャツ・ハーフタイツ、長袖シャツ・ロングタイツなどである。もちろん私は長袖シャツ・ロングタイツである。

10時スタートした。スタートラインを超えるまで1〜2分かかった。押さえて走ろうと自重する。軽い起伏が続くコースである。10Kmのラップタイムは58分、体が重くリズムに乗れない。20Kmのタイムは2時間。中間点を過ぎるころから右足の付け根が痛くなる。左足もだ。歩かずに完走するのはあきらめざるを得ない。エイドステイション毎に水分補給、エネルギー補給とともにストレッチと指圧をする。しかし、しばらくするとまた痛み出す。やがて、腿、ひざへと痛みは下がってくる。走れる状態ではない。初めてのフルマラソン、仲間たちの応援がなければリタイアしたかった。しかし最初が肝心であると思い直す。ここであきらめてはいけない。未知の距離を体験したい。と別の声がする。足をだましだまし走ったり、歩いたりして前へ進む。25Kmのエイドステイションだと思うがバナナを食べて休憩していると、“やんちゃくれ”で新聞記者の小暮役を演じている、利重 剛によく似た人と出会い顔をしばし見る。(翌日のNHKスタジオパークからこんにちはの出演者は利重 剛であった。彼も初マラソンだったそうで4時間30分位で完走とのこと)テレビで見るより甘いマスクをしている。30Kmのタイムは3時間20分、この調子だと5時間前後かと思う。32Kmのタイムは3時間40分。制限時間の4時間はクリアーした。2Kmで20分かかったことになる。ここから往路のコースを引き返す。ホテルの前では、小さな坊やがお盆にお菓子を載せてサービスしている。後ろにはお母さんが微笑んでいる。沿道の応援がすばらしい。私設エイドステイションも多い。炊き込み御飯のおにぎり、コーヒー、紅茶、しかも芸が細かい、砂糖入り、砂糖なしがある。クリームパン、チョコレート、飴も種類がいろいろある。歩くなんて本来ならしたくないが、足がいうことを利かない。もどかしく思う。

35Km前後で田辺さんと一緒になる。急がなくても4時間55分前後にはゴールできる。とアドバイスを受ける。しばらく後をついて走る。しかし、だんだん遅れ、また歩いてしまった。あと2.44Kmの折り返しのところですれ違う田辺さんから、“がんばれよ”と励ましの言葉を受ける。40Kmのタイムは4時間48分、5時間を切るのはきつくなってきた。ここからは、あと少しだがんばろう。ジャスコが見えてきた。そこからは500mだ。気持ちの上でピッチを上げる。川井さんが橋の手前まで迎えに来てくれていた。ありがたい。勇気つけられた。伴走してくれた。滑らかな足の運びが年期を感じさせる。最後の直線でラストスパートする。川井さんのおかげだ。自分でもこれだけ力が残っていたとは驚いた。タイムは5時間03分13秒。制限時間の5時間は切れなかったが、完走だけはできた。これも沿道で応援してくれた地元のかたがた、SMCの仲間のおかげである。初のフルマラソン完走の印象は、初めてのマラソンである1991年八戸うみねこマラソン5キロメートルを完走したときと同じである。練習を積んでいないと駄目だということである。心肺機能は何ともないのに、足が痛む、動かなくなる。明らかに長距離、長時間の走行に耐える筋力不足である。この館山若潮マラソンをステップにして次につなげていきたい。次回のフルマラソンは楽しみながら完走できるようにしたい。来年もまた是非参加し1年間の成果を試してみたい。

ちなみにここ3年間の走行距離、レース参加回数は次のとおり。

1996年    345Km    4回参加。

1997年  1,252Km   9回参加。

1998年  1,358Km   16回参加。



「塩竃神社初詣ラン」                 

SMC(サンデーマラソンクラブ)に所属している時、有志で1月2日に塩竃神社まで初詣するのが恒例の行事であった。仙台駅ステンド ガラス前に集まり集合写真撮影後に、駅東口から梅田川の土手を走って45号線に合流し塩竃神社を目指して走る。

往復約35kmである。往路は団体走である。前後にペースメーカーがいて最後尾のランナーにペースを合わせてくれる。サポートの車が荷物を預かり、給水してくれるのがありがたかった。

1998年、1999年、2000年、2002年と4回参加した。その頃は4時間前後で走る事が出来た。当時、知事でありSMCの会員でもあった浅野さんも皆さんと一緒に走った。毎日トレーニングをしており走歴が長くかなりの走力の持ち主でした。現在闘病中とのこと早く良くなることを願っている。

塩竃神社参拝後全員揃ったところで集合写真撮影をする。その後に社務所で着替えをし、持参の飲み物、軽食を食べる。ここでひとまず解散する。復路は個人の自由でありマイペースでの走りを楽しむ。完走を祝して居酒屋で仲間と祝杯を挙げるのも楽しみの一つであった。

2003年から南仙台走友会に入会した。走友会の初詣ランは1月3日に名取極楽の湯からの往復約50kmである。朝8時スタートして帰るのは午後5時頃になる。脚がつって苦しかった事も良い思い出である。もちろん私はラストランナーである。その後入浴して皆さんとの歓談が楽しかった。最近では2007年、2008年に参加した。

2011年1月3日に行われる南仙台走友会有志の塩竃神社初詣ラン50kmは走る自信がないので仙台駅東口から速歩(競歩を目指したもの・自己流競歩?)にて行くこととする。このコースはSMCで走った往復約35kmのコースである。8時27分スタートする。12時前には到着の予定である。梅田川の土手を歩こうと思ったが護岸工事のため駄目であった。10kmは1時間43分。キロ10分のペースである。15km2時間34分。何とかキロ10分のペースを保つ。私は右側歩道を歩く。走友会の皆さんは左側歩道を走る。途中で本郷、大友、作山さんの駅伝3人組に抜かれる。その後2人の走友に抜かれる。次に守さんに抜かれる。守さんは前日SMCの初詣ラン35kmを完走したとのことであった。タフなものである。

塩竃神社が近くなり左側歩道を歩く。帰路の桜田さんと出会う。増井さん、北山さん、工藤さんと会う。

表参道の202段の階段を上る。大勢の人出である。神社で並んでいる時に今野さんと会う。参拝をして軽食をとり東参道にて帰路につく。

杉目さんと娘さんに会う。マグロ丼が美味しかったそうである。

歩けるところまで行き電車に乗るつもりで歩き始める。さてどこまで歩けるか?走友会の皆さんが昼食をとるガストを通過する。両足の付け根外側が痛くなる。トレーニング不足のためである。

中野栄、苦竹、高砂、電車への誘惑に耐える。バスも来て乗ろうかと走るもこれもパス。とうとう完歩で仙台駅東口に15時過ぎに到着する。6時間40分、35.4kmでした。

久しぶりに塩竃神社初詣をした。やはり気持ちが良い。

バス停まで行くのに歩くのがやっとである。バスに乗り帰宅する。

好天に恵まれた楽しい一日でした。


2011.05.21「蔵王エコーラインを走る」

4時起床。トーストとコーヒーバナナの朝食。着替えて4時50分自宅を出て待ち合わせ場所のベガスべガスへ。5時30分スタートする。途中で雨。集合場所の遠刈田温泉付近の公園に6時30分頃到着。まだ小雨が残るが明るくなってきた。M井さんは先に出発。11人参加。集合写真を撮り7時頃スタートする。S木さんと私は歩きである。蔵王寺にて風雨を避けてレインウェアーを着て給水。寒くて手がかじかんでうまくホックやウェストベルトを付けれない。ぬれた手袋ははずしウェアーの中に手を入れて暖める。ここから走って下る。練習していないので下りでも時速10kmも出ない。25kmを4時間28分でした。脚に痛みも痙攣もなく一安心。風呂に入る。体が温まり満足。S目さんお勧めのスープカレーを昼食に食べる。S目さん宅にてコーヒーをご馳走になる。敷地も自宅も広くてモダンで素敵でした。自宅に帰り早い夕食をとる。日本酒の晩酌。ひと寝入りと横になり気がついたら23時30分。疲れとお酒で気持ちよく寝ていたようです。目覚めはすっきり。

スナップ写真は下記をクリックするとご覧になれます。

http://photozou.jp/photo/list/250629/4351377

 

 
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